事故の顛末②

救急車に運び入れられたとき、「どこか指定の病院がありますか?」と消防隊の人にきかれた。
自分は、以前に急性肺炎で入院したことのある「S記念病院」の名を告げた。
集まった近所の野次馬に見送られながら、出発。

その病院の救急救命室で処置され、病室に搬送された。
そこから、ながい入院生活が始まる。

立つこともままならないという生まれて初めての事態に直面した。
いちばん大変だったのは、もちろん、「排便」だ。
ベッドから車いすへの移動は、ナースに助けられながらも、緊張の瞬間だった。

怪我をする前には、本当になんでもなかったことが、大きな障壁となった。
「自分の足で歩けない」ということが、どんなにつらく切ないことか。

そして、もっとつらかったのが、「決して足を曲げてはいけません」という、医師からの厳命だった。
曲げると傷口が広がってしまう可能性があるからだという。

起きているときは意識して曲げないようにはできるが、眠っているときは、そうはいかない。
なので、眠る前には、いつも「固定ギブス」を装着された。

この不自由な状態では、なかなか寝付けなかった。
眠れないでいるうちに、同室の人のカミナリのようなイビキが始まり、なおも眠れなくなる。
朝方まで眠れず、昼間に寝て、生活のリズムが逆になってしまった。

アスファルトとの摩擦でえぐり取られた皮膚の移植手術が終わり、数週間の安静、そしてリハビリ。
ながい入院生活で、自由に歩けないこと、風呂に入れないこと、夜に眠れないことが、相当にこたえた。

ああ、全速力で、息が切れるまで走りたい!

毎日、病院まで通ってくる妻に、自分はそう訴えた。
忙しく仕事をしていた事故前の自分に戻りたかった。
あのとき、「休みたい、休みたい」といつも愚痴っていた自分が腹立たしかった。

動物は「動く物」と書く。
人間も動物である以上、「動いてナンボ」である。
動物にとっての不幸のひとつは、「動けないこと」だ。

動物が動くことで、この地球は成り立っている。
「自然」の大いなる帰結点は、そこにある。

「動けない」自分は、病院のベッドの上で、そんなとりとめもないことを考えていた。
この怪我では、いろいろなことを教えられた。

退院しても、しばらくは杖が離せなかったが、自分は、毎日のように外を出歩いた。
「動けること」の喜びを満喫した。

そして、自由に動いて働けること、そのことこそが、最大の幸福なのだと思えるようになり、決して忙しいことへの愚痴は吐かなくなっていた。